レトロフューチャー【社長Blog on 木心通信vol.168】

平尾工務店 代表取締役 平尾博之

1970年の3月末、新しい高校生活を控えた時期、私と友人の二人は、開会したばかりの「大阪万国博覧会」を見る為に、友人の親戚のある豊中市から約5日間会場に通いました。
私にとっては、5日間もの長期、家族の下を離れるのは生まれて初めての経験で、連日がわくわくと緊張の連続だったと記憶しています。

開会当初の万博会場は、入場者も少なく、私たちは滞在期間中にすべてのパジリオンと会場内をくまなく見る事が出来ました。おまけに、当初は各パビリオンの案内女性(コンパニオンさん)に入場したすべてのパビリオンで「自筆のサイン」をもらう事が出来ました。中学生で、まともに英語も話せないのに、身振り手振りでサインを頂いたのを今もはっきりと覚えています。「サイン」は、直後に混雑を理由に禁止されてしまいましたので、貴重な思い出となりました。

時の万博では、私たち子どもだけでなく、大人でもワクワクする展示や商品がたくさんありました。動く歩道、モノレール、リニアモーターカー、電気自動車、テレビ電話、携帯電話といった製品に加え、缶コーヒーやファミリーレストラン、ケンタッキーフライドチキンといった、新しいサービスも日本では初めて提供されていた様です。

一方、パビリオンも「新しい技術の博覧会」の様に、各国が先進の建築物を披露していました。
「月の石」を展示していた米国館は、今では一般的ですが、東京ドームに使われている屋根を膜で覆う「空気膜構造」パビリオンで、会場でも一番高さが低いものでした。片や、ソ連館は、地上高さ130mに及ぶ高層建築物で、敵対する米ソ2大国が両極端のパビリオンだったのが印象的でした。

前に記した商品やサービスの新しさだけでなく、各国や企業等のパビリオンや展示物も、それまでの先人が描いた「未来の街やサービス」といった『レトロフューチャー』的なものが多かった事で、清潔感が有りそれ以降の展示会等に大きな影響を与えたと評価された様です。

当時に会場に足を踏み入れた多くの人達が、未来の生活の一端を体験できる「万国博覧会」に夢や希望と、期待をもって夢膨らませたのではないかと感じています。

あと2年で、2025年大阪万国博覧会が開会します。
「夢と希望」を提供してくれる事を期待したいと思います。

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